9月に入った。旧ハンター住宅内部公開まで一カ月ということで、再び神戸異人館に関するトピックを記していこう。
今回は現在お世話になっている萌黄の館から。
神戸の異人館の間取りというのは、ほとんどが1階は接客用の「公」の空間、2階が自分たちの居住用で「私」の空間となっている。だから1階と2階で装飾の違いが大なり小なり施されている。
この萌黄の館はそのあたりの違いがきちんと表現されている建物。そのちがいの一つに部屋ごとの扉上部の飾りがある。
まず1階の「公」的空間。こちらの開口部上部にはこのような紋章があしらわれている。この模様は一体?という疑問もあるのだが、それは別の機会に論じるとして、客をもてなす空間ではこのような模様を出してきている。それに対して2階の「私」的空間では・・:
このような模様をあしらっている。1階のものが個の連続なのに対してこちらは横長に1本。実は今回記したいのはこちらの菱形。私はこれを「菱形蟹挟み」と勝手に読んでいる。
1階の模様は他の洋館で見たことがないのだが、この菱形蟹挟みは他の神戸異人館にもあしらわれているケースがあった。まずは旧ハッサム住宅。
設計者が同じA・N・ハンセルと推測されているので、もしかするとと思い、9月3日の相楽園にわのあかりのときに確認に行った。やはりあった。
ただ萌黄の館と異なるのはこの模様が2階ではなく1階に、しかも最も接客として利用される居間のスペースのみにあしらわれていること。この部屋は最も格の高い部屋と位置付けられているようで暖炉のマントルピースも他の部屋が「欅」なのに対しここだけは「大理石」を用いている。ちなみにこの菱形蟹挟みがあしらわれているのもこの部分のみで他はベントがあるだけで装飾はない。
次はわかりにくいのだが、これが私が菱形蟹挟みを意識する最初の1枚。実はこれは旧ハンター住宅の入り口天井部分。来客が少なかった時期にふと入り口で見上げるとこの模様。何でこんなところに???というのが最初の感想。とりあえず写真に収めた。一体何の意味があるのか?あんなところにあっても誰も気が付かないはずだが。そう思いつつも、どこかで見たことが・・・と思って萌黄の館に行くとビックリ。同じものがあった。さらにはハッサム住宅、ラインの館にもあった。これは旧ハンター住宅だけでなく、神戸異人館を通して何か意味のある模様なのではないかと思うようになった。
そして最後の一枚。
これは「新住宅」という昔の雑誌で昭和40年代に連載されていた坂本勝比古氏の記事の1枚。ずいぶんと姿が変わっているが北野町2丁目にあった「旧ペルシャ館」の住宅時代の写真。この頃は「ホッブス邸」と呼ばれていた。この建物の入り口をアップしたのが次の写真。
軒の部分に布のようなもので隠れていいるが確かに菱形蟹挟みを確認できる。こちらも入り口上部に付けられている。
ちなみにラインの館では1階暖炉マントルピースの装飾で使われていた。
さて、ここでまとめてみる。
萌黄の館、ハッサム住宅、ラインの館では室内。旧ハンター住宅、ホッブス邸では入り口に用いられている。実は後者の2棟は共通点がある。ホッブス邸も範多商会の敷地内で建てられたものであるからおそらく設計や施工は同じ人物、はたまたグループによって行われているはず。そして前者の3棟。ラインとハッサムは1階の「公」的部分、萌黄の館は2階の「私」的部分にと異なるあしらわれかたをしているが、実はラインとハッサム邸には共通点がある。それは同じ北野町2丁目で隣合わせに建てられていたこと。そして2棟とも「ドレウェル氏」の所有となっていた時期があったこと。この5棟だけで分類するならばある共通項を見出すことができるが、説得力を持つには事例が少なすぎる。
そして何よりも知りたいのはこの菱形蟹挟みがどういう意味を持つのかということだ。襟を正すときに使うのか、私的な楽しみで飾っただけなのか。本場のヨーロッパではよく見られるのか。まだまだ情報が足りない。が、一応は仮説を立ててみた。
これだけバラバラであるということは、西洋のペディメントのような「形式」ではないのではないかと思う。また、範多商会だけでなく他の洋館にもあったということは「家紋」でもないはずだ。では何か。私は施工を任された日本人の大工集団が勝手につけた模様だと考えている。つまり同じ施工者による建物であったのではないかと思っている。そう仮定すれば「家紋」ではないという事例に一致する。また日本人が施工したとなると西洋の「形式」を無視されていることも腑に落ちる。
当時、建築ラッシュであっただろう北野には様々な大工さんが働きに来ていたはずなのだ。現に旧15番館の大工棟梁は千葉の人。また旧ハンター住宅の建築に携わったという方のお孫さんが話してくれたところによるとその方は徳島からやってきたという。そんなラッシュの中、ある施工集団が存在し、神戸異人館の施工をガンガンこなしていった。しかもこの5棟を手掛けているから、かなりの腕の持ち主のはず。そんな施工集団が好んで用いたのがこの「菱形蟹挟み」だったのでは・・・とファンタジーを妄想している。
では、その大工さんたちは一体どの辺りからやってきたのか。この菱形というのは、その出身にも関わっているのではないか、というのが次の話題。それには先に上げた萌黄の館の1階開口部の模様が重要になってくる。しかしそれは別の機会に。