ハンターさん没後100年ということで、2回目になりますが神戸市立外国人墓地へ。近くのスーパーで黄色いバラを購入して持参。すると前に来た時のことを係の方が覚えていてくれていた。前回同行者は5人だったが、今回は私と家族3人の計4名。ただ前回もそうだったのだが、こんなマニアックなところに見学に来る方ですからかなり歴史に関心のある方々。こちらのご家族も神戸在住でよく勉強されていた。
参加者がそろったところで出発。お墓参りは基本的にはツアー形式。ガイドさんのお話を聞きながらの見学。写真は許可のあるところ以外はNG。以前は自由に見学出来ていたそうなのだがあまりにマナーが悪かったので一時期中止していたそうで。最近でこそゴミや騒音のマナーを気にするようになったが以前の日本人も実はひどかった。外国人旅行者のことをとやかくは言えない。
で、最初の写真は無縁墓地らしい。だから明確な宗教的モニュメントがない。その中で手前の墓石はリチャード・ゴードン・スミス。六甲山で新種のネズミを発見し、そのネズミの名前が「スミスネズミ」として残っているような著名な方。で、この方が書いた日記が「ゴードンスミスのニッポン仰天日記」という書名で出版されている。現時点でアマゾンで1円で中古が販売されていた(涙)
こちらのお墓は有名。アメリカ人宣教師として来日したジェームズランバス氏。ご長男がウォルターランバスで関西学院大学を創立した方。こちらは来歴がはっきりしているのでモニュメントがはっきりしている。十字架に書物。わかりやすい。ただ書物が乗っている台の柱が竹のようなデザインになっている。係の方に聞いたがわからないということ。むむ、建築同様、興味をそそられる。
こちらは神戸港の初代港長マーシャル氏のお墓。後ろの柱で途中で折れているのがあるが、それは志半ばで折れたということを伝えているらしい。事故などのアクシデントで亡くなったということか。西洋の墓石は深い。
こちらは神戸居留地ではお馴染みのACシム氏。顕彰碑は東遊園地にあるのだがあっちの方が立派なような気がする。ご家族の娘さんも知っていたようだ。やはり神戸の学校では郷土史として外国人の話を伝えているようだ。
こちらは慰霊碑。第一次世界大戦で阪神間に居住していた外国人が出征。そこで戦死してしまった方々の名前が刻まれている。その中に「ケネス・ハンセル」という名前がある。そう異人館の立役者、我が心の師、アレクサンダー・ネルソン・ハンセル氏の息子さん。この息子さんの死をきっかけにハンセル氏は仕事を辞め神戸を去ります。ハンター氏同様、素通りできない場所。
写真が禁止なのでパンフレットから。こちらはチョコレートでお馴染みのモロゾフ氏。ロシア人だけに八端十字の墓石。
中央左よりに見えるペディメントのような形をした墓石。こちらはドレウェル夫人のお墓。あのラインの館の建築主。そのあたりを説明してくれたが、私が目を奪われたのはその右斜め前方。「ウィリアム・ダウン」とある。この方の奥さんは「ワサダウン」という日本人で北野町4丁目にあった旧日本郵船生田寮東棟の建築主。現在は香川県四国村でティールーム「異人館」として営業している。その旦那さんのお墓。結構立派だが、旧居留地でビリヤード場を経営していたはずだが、そんなに儲かっていたのか?
そしてハンター氏。今年も献花させて頂いた。前回もそうだったがそれまで降っていなかったのに、ここに来ると雨がしとしとと降る。何かのメッセージと取っておこうと思う。
こちらには日立造船の方々がお参りに来るとか。面白かったのが、その近くに「クリフォード・ウィルキンソン」という方のお墓があった。その墓前にはアサヒのウィルキンソン炭酸水がずらーっと並んでいた。そう、あのウィルキンソン炭酸水の産みの親でブランド名をアサヒが買収したわけで。その並べられたペットボトルはアサヒの社員が来られてお供えしているということ。その圧巻の景色は本当に写真に収めたかった。
ちなみにこのウィルキンソンさんは一時期ハンター商会の社員で精米の機械を担当していた。もしかするとその縁で近くに葬られたのかも。
とにかく興味深い1日だった。歴史書で名前や写真を見ているだけだが、ここに来ると本当に実在していたということを肌で感じられる。そして現在にどうつながっているのかということがわかる。歴史好きの方々にはもちろんのこと、神戸の人々に見てもらたい場所である。
ちなみに今回のツアーグループは話が盛り上がり、係の方々ともすっかり仲良くさせて頂いた。別れ際に「また来てくださいね~」と言って頂いたのだが、お墓なんで軽々しくは・・・(笑)